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【3.11震災から4年】いま考える、生き延びた人の"5つの共通点"とは!? ( TOCANA)

2015/03/15 08:00
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、4年が過ぎようとしている。M9.0の巨大地震と、それに伴う大津波による犠牲者は15,800人を上回り、死因の90%ほどが津波による水死と圧倒的に多く、地震による圧死・損傷死は約4.2%、火災による焼死は約1%だった。

この未曾有の大災害から命を取り留めた人々の体験談を読むと、いくつかの重要なポイントが浮かび上がってくる。
改めて震災への備えを確認し、"その時"に取るべき行動を考える意味でも、今回はそれらをまとめて紹介することにしたい。




■釜石の奇跡

東日本大震災で多くの人々が津波の難を免れた事例として、有名なものに「釜石の奇跡」がある。
釜石市では、岩手県の市町村の中で2番目に多い、約1,000人もの犠牲者が出てしまった。しかし、市内全小中学校の児童生徒のうち、実に99.8%にあたる2,921人が津波から逃れることができたのだ。
(それでも5人の児童と1人の学校職員が犠牲になった事実があり、「奇跡」と賞賛されることをつらく感じるという遺族の気持ちを考慮し、公式の場では「奇跡」の言葉を使用しないことが取り決められている)
この出来事が"奇跡"と表現されることについて、学校関係者は以前から違和感を覚えていたようだ。市教育委員会は「常識ではあり得ないことが起きたわけではなく、訓練や防災教育の成果。
実践した子供たち自身が奇跡の意味は違うと感じていた」(河北新報オンラインニュース、2015年1月31日)と語る。つまりこれは、日頃の訓練や防災教育の成果だったということだ。 釜石市の子どもたちは、幼稚園や保育園の頃から津波発生に備えた防災教育を受けていたのだ。
「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹氏は、かつて釜石小学校を訪問して知った事実として、大震災発生時にはほとんどの生徒が下校していたと指摘した上で、「子供たちは『地震と同時に逃げるというスイッチが入った』と言ってました」(産経ニュースWEST、2013年3月12日)と語る。
教師から逃げろと指示されたからではなく、子どもたちは自主的に避難したということだ。

■野田市の「奇跡の脱出」

次もまた「奇跡」に関連する話になるが、今年1月に『はなちゃんの はやあるき はやあるき』(著者:宇部京子、イラスト:菅野博子、岩崎書店)という絵本が出版された。
これは大震災の際に、岩手県野田市の海岸から500mほどのところに位置する野田村保育所に通う園児90人と職員14人の全員が無事だったというエピソードを、ある職員の義姉である詩人・宇部京子氏が聞き、絵本にまとめたものだ。
地震が起きたのは、ちょうど昼寝の後のおやつの時間だったが、強い揺れが収まるとすぐに、園児と職員たちは毎月実施していた訓練通りに避難を開始した。保育士は0歳児を背負い、小さい子どもを大型の手押し車に乗せ、大きな子どもたちは自分で歩いて、約1km離れた高台へと避難した。 誰ひとりとして泣き出す子はおらず、黙々と避難したという。
しかし、この事例が「奇跡」と呼ばれるようになったのは、別の理由もあった。ちょうど大震災の当日、午後3時から避難訓練が予定されていたために、日課の昼寝を早めに切り上げ、職員が子どもたちにオーバーを着せるなど外出の準備をしていたその時、大地震が発生したのだ。
そのため、30分後には保育所の建物が跡形もなく津波に呑み込まれたにもかかわらず、全員無事に避難することができた。
このような偶然は、もう二度と起こらないかもしれないが、日頃の訓練がいかに大切なものであるかを物語る出来事と言えるだろう。
この地域は、過去に何度も大きな津波の被害に襲われていて、2006年に発表されたハザードマップで、保育所が津波の浸水予想区域に入っていたことから、定期的な避難訓練が加速されたという。

■予言を信じて助かった人

東日本大震災を予言していたとされる世見者(予言者)の松原照子氏は、震災の1カ月ほど前(2011年2月16日)、自分のブログ『幸福への近道』に「陸前高田」「釜石」などの地名とともに、大震災を予感させる記事を綴っていた。
 「『陸前高田』と云う地名が声にならない会話を 自分にしています」、(地図を用いて)「指で感じ取ろうとしたが 期待ほど感じなかったが 釜石辺りが赤く見えた」(松原照子ブログ『幸福への近道』より)といった内容だ。
松原氏のブログを常日頃から愛読していた筆者の知り合いは、この記事を目にしており、地名入りで指摘された地区付近に住む肉親に、地震に気をつけるよう伝えていた。それを聞いた本人は、実際に防災意識を高めていたという。そのため、震災当日は自宅まで津波が押し寄せたが、家族全員が無事に避難することができた。
超常的な予言の類いは、人によって信じる・信じないがあるだろう。だが事実として、このように人の命を助けられる予言もあるのだ。他にもネット上には、「宏観現象」と呼ばれる様々な地震の前兆現象が報告されており、これらに注意を払うことも、自分や周囲の人々の命を助けることに繋がるだろう。

■教師の指示に逆らった結果

以上のような幸運な例に対して、多くの子どもたちが津波の犠牲になってしまったケースもある。宮城県石巻市釜谷山根にある石巻市立大川小学校では、全児童108人のうち74人が津波で命を落とした。
昨年3月、死亡・行方不明となった児童23人の遺族が石巻市と宮城県に損害賠償を求めて提訴したことでも有名になった学校だ。あの日、石巻市役所・河北総合支所の職員による「津波が松原を越えてきました」という声を聞き、教師たちは山側ではなく、河川堤防近くの「三角地帯」へと生徒たちを誘導した。しかし、三角地帯も標高不足で津波にのまれており、そのことが責任者の判断ミスだったとして、批判を受けているのだ。
生き残った児童の1人で、当時5年生だった只野哲也君は、その時のことを次のように振り返る。地震発生時は「帰りの会」が行われており、哲也君は激しい揺れの中で「地震来たら、山さ逃げろよ」という父の口癖を思い出した。
担任教師の指示によって、児童たちは校庭へと出たが、教師たちは話し合ったまま行動を起こそうとしなかった。そして地震から50分ほどが過ぎ、ようやく「三角地帯」へと生徒たちを誘導し始めた。
しかし、哲也君は徐々に津波が迫る光景を目にして、「逃げなきゃ」と思って1人で逆戻りし、別の場所で助かったという。「波が来たときは、腰を抜かして動けない人もいたけど、自分が助かりたいというのしかなくて、走っていって。後ろのみんなは『なんで、戻ってきたんだよ』という感じで見ていた」(『女性自身』、2014年3月15日)と、取材に対して答えている。
哲也君の場合、結果的に教師の指示に逆らい、父の教えと自分の判断によって命が助かった。だが、彼の妹の未捺(みな)ちゃん(享年9)は命を落としてしまった。
2人の父である只野英昭さんは、前述の訴訟の原告団に名を連ねている。

■伝承を重視した人々

・ 津波てんでんこ 三陸地方には、「津波てんでんこ」という言い伝えがある。「津波はあっという間に襲ってくるから、とにかくてんでんこ(てんでんばらばら)に逃げろ」という意味だ。
この言葉は、1990年に岩手県宮古市で開催された第1回「全国沿岸市町村津波サミット」で、津波災害史研究家である山下文男氏が提唱し、サミットの標語にもなった。
この標語は一見、「自分のことを真っ先に考えて、他人はどうでもいいから、とにかく高台へ逃げろ」というように、いささかエゴイスティックな意味合いに取られやすい。だが、「まず自分の見の安全を確保してから、他人のことを考えろ」という意味だと筆者は解釈している。
前述の「釜石の奇跡」では、釜石東中学校の副校長が、校庭へと避難し始めた生徒たちに向かって「(避難所へ)走れ!」「点呼などとらなくていいから」と大声で叫んだという。そして、ほとんどの生徒たちは約700m離れた避難所へ逃れて無事だった。
これもまさに「津波てんでんこ」の共通認識が成し得た結果だと言えるだろう。また、津波発生時の映像には、すぐ背後に津波が到達しているにもかかわらず、何度も後ろを振り向きながら避難する人々の様子が記録されている。推測するに、家族など身近な人々の安否を気遣いながらの行動だろうが、その後本人たちが助かったかどうかは定かではない。このような映像を見ると、やはり「津波てんでんこ」の大切さを実感させられる。

・ 神社の歴史、そして石碑 過去に何度も津波の被害を受けてきた地域には、「津波が来たら神社へ逃げろ」という言い伝えが残されている場合が多い。 津波が起きる度に、より高台へと遷座し、結果的に過去にその地域で起きたもっとも大きな津波でも被害を受けない場所に落ち着くためだ。東日本大震災の津波発生時、この伝承を思い出して神社へと逃げ、救われた人々がいた。
仙台市若林区の波分(なみわけ)神社もその一つで、9世紀の「貞観地震」(M8.3)で発生した津波では、現在この神社があるところまで津波が達し、その事実を後世へ伝えるために当地に神社が建立されたという。
ちなみに東日本大震災の津波では、津波は神社まで達しなかった。
また、岩手県宮古市姉由地区では、伝承のみならず「此処より下に家を建てるな」という石碑が残されており、住民たちは海抜60mより低い場所に家を建てなかったため、東日本大震災で1人の犠牲者も出なかった。
同様の石碑は全国各地にあるにもかかわらず、風化したり無視されたりしていることも少なくない。


以上、紹介してきたケースをまとめると、大震災の難を逃れた人々には、以下のような共通点があると言えるだろう。

1. (学校や家庭で)防災訓練などの備えを怠らなかった
2. (学校や家庭で)指導的立場の人間による適切な判断があった
3. 予測・予言の類に日頃から注意を払っていた
4. まず自分の身の安全を確保してから、他の人々などのことを考えた
5. 地域に伝わる伝承類を重視していた


地震の揺れの場合、突然襲ってくるために逃れることが困難な場合も多いが、津波の場合は発生までにタイムラグがあり、避難するかどうかは「気持ちの問題」である場合が多い。
上記のような教訓を肝に銘じて、いつ発生してもおかしくないとされる首都直下地震などの大災害に備えたいものだ。

(文=百瀬直也)
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第二の人生の職場として、福祉関係のパートをしています。仕事の合間に小生の関心ある記事等をネットで探し、ブログにします。よろしくお願いします。

 

 

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