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2016年に東京壊滅、人類滅亡!? 封印された「聖徳太子の予言」に戦慄!(TOCANAから)

2015/04/26 08:00
今から約1400年前、日本には偉大な予言者が存在した。

聖徳太子(574年2月7日~622年4月8日)は、飛鳥時代に推古天皇の摂政として活躍した政治家で、「冠位十二階」「十七条憲法」を制定した人物。
その名を知らない者はいないだろう。しかし、今では彼の存在すらも疑われ、かつて日本の紙幣に使用された太子の有名な肖像画も、実は本人ではないという説が出るほどに、謎の多い人物であることが明らかになってきている。

今回は太子の謎と予言に迫ってみよう。

■聖徳太子のミステリアスな生い立ち

聖德太子は、用明天皇(ようめいてんのう)の第二皇子として生を受ける。宮中の馬小屋の前で生まれたため、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていた。
同じようにイエス・キリストも馬小屋で生まれている。実は、イエスと聖徳太子には類似点が多いのだ。2人とも不思議な能力を用いて人々を導き、様々な奇跡を起こした聖人であるという点。
さらに、イエスはキリスト教の祖であり、太子は仏教を日本に広めた人物であるという点。そして、キリストは神の子にして救世主であり、聖徳太子は人々を世の苦しみから救う救世観世音菩薩の生まれ変わりであるといわれている。
つまり、2人には「人類を救う」という共通の大きな使命があったのだ。

■伝説として語り継がれるエピソード

聖徳太子の神秘的な力を伝える伝説は多い。

・生まれてすぐに言葉を発し、幼少の頃、すでに国内外の学問を修め、高僧の域に達した天才児だった
・1度に10人の話を聞くことができた
・馬に乗って空を飛び、富士山の頂上に登った


など。

さらに、こんなエピソードもある。
587年、神道を奉ずる物部氏と、仏教を奉ずる蘇我氏との武力闘争が激化。14歳の太子も蘇我軍に加わっていたが、戦いは物部氏の優勢だった。
その時、太子は勝利を祈願し木の枝を4本削って髪に差し「これは四天王である!」と叫んだ。その瞬間、矢が総大将の物部守屋に当たって死んだ。
これにより崇仏派の蘇我氏が勝利。その後、誓いを果たすため、太子は「四天王寺」を建立し、仏教を日本に広めていった。

そしてさらに! 太子には未来を予言する力まであったというのだ――。

■聖徳太子の幻の予言

『日本書紀』にはこう記されている。

「厩戸皇子、壯(そう)に及びて未然を知ろしめたもう(太子、これから起こることを予知する)」
つまり、太子が予言者であったということは、日本の正式な歴史書が証明しているといえるのだ。
だが、予言の内容までは書かれていない。これは、太子の死後、時の権力者によって自身に都合の悪い部分をバッサリ削られたためだといわれているのだが...。
では、聖徳太子が残した予言とは、どのようなものであったのだろうか?

太子が記した『未来記』という予言書がある。
だが、一般的には原本は存在していないといわれており、太子の予言は、歴史上の人物の伝承や古文書のなかにポツリポツリと現れる程度なのだ。しかし一部では、この幻の予言書『未来記』が四天王寺に保管されており、神通力のある4人の僧侶によって、最高の機密として守られてきたとも囁かれており、幻の予言書『未来記』を見た者がいるという話もあるのだ。

■幻の予言書を見た人物

室町時代の軍記物語『太平記』には、1332年8月、四天王寺に参詣した武将・楠木正成が、老僧から秘蔵の「太子の予言書」を見せられ、その内容に驚いたと記されている。
そこには、楠木率いる軍勢が勝利し、鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇が復帰する旨が書かれていたのだ。それを見て、楠木正成は己の天命を悟り、実際に後醍醐天皇、足利尊氏や新田義貞らとともに鎌倉幕府を倒したのだった。

ではそれ以外の予言もみていこう。

■聖徳太子が残した日本大混乱の予言

太子は25歳の時、人類の終末とも言える重大な予言を残しているといわれているが、それ以外の予言がある。

・黒船・首都東京の予言

「私の死後二百年以内に、ひとりの聖皇がここに都を作る。そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え、千年の間都として栄える。
しかし一千年の時が満ちれば、黒龍(黒船)が来るため、都は東に移される」
794年に桓武天皇により定められた「平安京」。約1,000年の永きに渡って日本の首都であったが、黒船の来航により明治維新が起こり、首都は東京へ移される。

・自身の死

「私はまもなく死ぬし、子孫は一人も残らない」
自らの悲劇的な運命も予言していた太子。病死とされているが、蘇我入鹿に暗殺されたとも言われており、太子の死後、蘇我軍に追い込まれた一族は「争ってはならぬ」という太子の遺言を守り、集団自決をしたそうだ。
その悲劇のあった場所は、五重塔の近く。一説によると法隆寺は、一族もろとも残虐に滅ぼされた太子の怨霊を封じ込める場所だともいわれている。

・東京とクハンダの予言

「それから二百年過ぎた頃、クハンダが来るため、その東の都は親と七人の子どものように分かれるだろう......」
「クハンダ」とは仏教用語で「末世に現れる悪鬼」のことだ。真っ黒な禍々しい存在で、肉体も精神も汚してしまう。「クハンダ」の正体は何であろうか? 
隕石の来襲、核攻撃、火山爆発、原発事故による放射能汚染などいろいろと考えられる。
その「クハンダ」の厄災により、首都は壊滅状態になるため、首都機能を8箇所にバラバラに分けるという意味だろう。
では、それはいつ起きるのか? その謎を解く鍵が法隆寺にあるという。

■五重塔に隠された聖徳太子の恐ろしいメッセージ 

 一説によると、仏教寺院を表すものとして太子が導入した「寺」という言葉は、ラテン語の「TERRA (テラ)/地球・大地」から由来したものではないかといわれている。
そして、太子は「地球」の象徴として法隆寺を建立し、世界最古の木造建築で有名な五重塔に釈迦入滅から数えて2500年までの人類の命運を暗示したという説があるのだ。
五重塔内部には、釈迦の死後各500年ごとの世界を表す絵が描かれていたが、時の権力者によって塗りつぶされたという話もあるが...。では、この五重塔があらわしている予言とは一体どのようなものなのだろうか?

1階 仏法により悟りを得て解脱する人が多い(釈迦の死後500年)   
2階 よく修行する人が多い(釈迦の死後1000年)
3階 経を聞いたり読んだりして学ぶ人が多い(釈迦の死後1500年) 
4階 寺や塔の建立が増える(釈迦の死後2000年)
5階 戦争や争いが盛んになり 白法(びゃくほう)が沈む(釈迦の死後2500年)→2016年?


釈迦入滅の日がいつなのかは諸説あるが、欧米の学者の計算によれば、BC483年、484年、487年、500年となっている。
そこから考えると、運命の時とされるのは2000年、2013年。あるいは、2016年、2017年ということになる。
つまり、2016年か2017年には日本破滅の時がやって来る可能性があるのだ......。

「白法が沈む」とは、「白い人の法」つまり、世界を制覇している白人中心の文明(物質主義)、つまり今の世界のシステムが崩壊するという予言だ。
そして「戦争や争いが盛んになる」というのは、つまり混乱を増す中東情勢など、昨今の世界の動きを見ていれば、第三次世界大戦の足音が忍び寄っているのは言うまでもない。
やがて、末世に現れる悪鬼「クハンダ」によって、日本は大混乱に見舞われるのだろう。

『未来記』の予言が封印されているのは、「聖書のハルマゲドンを超える恐ろしい予言」が描かれていたからという説もあるが、太子の予言が真ならば、2015年はまさに滅亡の前夜祭とも言える年なのだろう。カウントダウンはすでに始まっているのかもしれない。

(文=白神じゅりこ)
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第二の人生の職場として、福祉関係のパートをしています。仕事の合間に小生の関心ある記事等をネットで探し、ブログにします。よろしくお願いします。

 

 

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